鹿島神宮の近くに息栖(いきす)神社という神社がある。現地に来て初めて知った神社だが、昔は東国三社(鹿島神宮、香取神宮、息栖神社)の一社として名を連ねていたほど有名だったらしい。主祭神は岐神(くなどのかみ)(この名も初めて知った)、相殿に天鳥船神(あまのとりふねのかみ=経津主神(ふつぬしのかみ)@香取神宮の主祭神、と云われている)。現在は当時の賑わいはなく、現地への案内もまばらで、外から見ると相当な寂しさを醸し出していた。
しかし、息栖神社を囲む杜の木々は古く、神木は千年を超えて存在しており、境内に入ると,そんな寂しさは感じず、空気は重厚になる。訪れたときは気温も低く、人影もないゆえに、静謐な空気は、より重さを増していたように思う。
右の写真は神木で、途中から幹が二つに分かれていることから、夫婦杉とよばれている。
息栖神社の参道は西南西に延びており、常陸利根川に突き当たるが、その突き当たりの水際には大きな鳥居が立っている。鳥居は神社の入り口であるのに、水際に鳥居があったら入りづらいではないかと思ったが、この辺りは水郷だから、海から来る神や人も多かったのだろう、と思い直す。
下の写真がその大鳥居である。写真では見えないが、大鳥居の左右にも鳥居が配置されている。
左右の鳥居の足は水中に没しており、その水中には左右とも瓶が埋められ、左を女瓶、右を男瓶で井戸になっているのだと云う。これを忍潮井(おしない)と呼び、日本三霊泉のひとつ、と説明されている。由緒書きには 194年に造られたものと云われているから もう1800年ほど前だ。なお、左の鳥居よりも右の鳥居のほうが背が高い。
水底の瓶は、空が晴れて水が澄んでいるときでなければ見えない、とのことなので、次の日の朝(快晴)に再度来訪。下の写真が水底の瓶を撮した写真である。
井戸の底をにカメラを向けたとき、神代の時代から息栖神社および忍潮井を大切な場所として維持し続けてきた人々の思い(歴史)がそこに感じられるのである。