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歴史に敬意を払う

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自分は無神論者である。それどころか無神論者である、と言うほどの主張も持っていない。しかしながら、冠婚葬祭では仏式や神式の作法に則り行動するし、墓参りも初詣もする。神社を通れば形ばかりの賽銭を投げて柏手を打って拝んでみたりもする。

こうした行為は習慣として染みついたモノであり、宗教的行為というほどたいそうなものではなく、自分に強制もしてない。ただ、なんとなく行うのである。

そんなゆるい感じでありながら、地図を開くと、実に多くの神社や寺が存在していることに改めて驚く。家と家の隙間に小さくなっている社や、マンションの屋上のミニ神社等も含めれば相当な数だろう。さらに、そのうちの多くの社は想像するより長い時間そこにあるのだ。実際、近所の小さい神社も調べてみたら平安時代から存在する神社だった。たとえ信仰の自覚がない人が多くても宗教として根付いているといっても過言ではないかもしれない。

そんな神社と、その祭事を守って来たのは我々の先祖であり、彼らが何を考え、どのように行動したかが神社には記録として残っている。神社に興味を持ったのはそこに先人たちの思考や行動の記録があり、それを学ぶことで、現在及び将来の自分自身の思考や行動へのヒントを得られるかもしれないと思ったからである。

少なくとも自分自身の価値観に大きな影響を与えているであろうこれら神社の、というか日本の歴史には敬意を払おう。

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